東京地方裁判所 昭和38年(ワ)392号 判決 1963年5月30日
理由
一、本訴について
(一)請求原因(一)の事案は原告が公正証書作成権限を授与しなかつた点を除き、すべて当事者間に争がない。
(証拠)と右争いない事実を綜合すると、原告は昭和三四年七月一四日頃被告から金一、五〇〇、〇〇〇円を借り受けその担保として原告所有の土地建物に抵当権等を設定することとなつたが、担保物件が二筆であつた関係から、その貸金を金七〇〇、〇〇〇円及び金八〇〇、〇〇〇円の二口として、それぞれ担保権を設定すると共に右金銭消費貸借公正証書を作成することとし、連帯債務者となつた妻河西富士子とともに公正証書作成権限を委任する白紙委任状ならびに印鑑証明書を被告に交付したこと、被告は右委任に基づき訴外斎藤文一が原告ら債務者の代理人として公証役場に赴き、右八〇〇、〇〇〇円及び七〇〇、〇〇〇円の公正証書二通を作成したこと、がそれぞれ認められる。これに反する原告本人の供述部分は採用しない。したがつて、被告は原告のした適式な公正証書作成権限の委任にもとずき、本件公正証書を作成したものであり、これが有効であることは明らかである。
(二)証人山崎正市の証言、原・被告本人尋問の結果によれば、原告は右借受金のうち本件公正証書に基ずく分については、昭和三五年一月一三日に金一〇〇、〇〇〇円、同年三月一〇日に金七〇〇、〇〇〇円をそれぞれ元本に対する弁済として被告に提供し、被告もこれを異議なく受領したこと、金七〇〇、〇〇〇円については全部弁済して公正証書の返還を受けたが、本件公正証書については後記認定のような事情で返還されなかつたこと、をそれぞれ認めることができる。
してみれば、本件公正証書に基ずく消費貸借の金円はすべて原告が弁済しこれによつてその請求権は消滅したものというべきである。(もつとも、右貸借にもとずく利息及び損害金についてはこれを完済したことを明らかにする証拠はないが、前顕各証拠及び弁論の全趣旨によれば、被告は右元本の弁済により、金八〇〇、〇〇〇円の分についてすべて解決したものとして取扱つていた事情が認められるので、このような事情を勘案すればかりにそのような債権が残存していたとしても、右元本弁済のときに黙示的に抛棄したものと解するのが相当である。)
(三)被告は本件公正証書の執行力を、後の貸金請求権に流用する旨の合意をなした旨主張するところ、後に認定するように、被告が原告に対して昭和三五年八月二二日金四〇、〇〇〇円、同年同月二六日に金三〇〇、〇〇〇円、同年九月一〇日に金四〇〇、〇〇〇円を貸付け、同日現在弁済期未到来の合計金七四〇、〇〇〇円の債権を有していたことは明らかなところ、証人山崎正市の証言ならびに被告本人尋問の結果によると、原告は前認定のように被告から金一、五〇〇、〇〇〇円の金融を受け、そのうち本件公正証書にかかる金八〇〇、〇〇〇円を弁済した昭和三五年三月一〇日頃、被告に対して更に今後も引きつづき金融を受けたいから、右八〇〇、〇〇〇円の担保に差入れた担保物を今後借受ける金円の担保に流用することとし、又本件公正証書もそのまま有効のものとして今後の貸金に流用されたい旨を申入れ、被告もこれを承諾して金七〇〇、〇〇〇円の分については公正証書正本を原告に返還したが、本件公正証書正本は引きつづき手許に留保して前示の金円を原告に貸付けた事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。してみれば、原被告間で、本件公正証書の執行力を、当該公正証書に表示された請求権以外の債権に流用する旨の合意が成立したものと解すべきところ、かかる合意が有効かどうかについて考えるに、公正証書が民事訴訟法第五五九条第三号により執行力を有するためには、当該公正証書に表示された特定の若しくは将来特定し得べき給付請求権に限るべきものと解され、たとえ当事者間でその請求権以外の請求につき当該公正証書による執行受諾約款を流用する合意がなされても、そのような合意は執行法上の効力を有せず、これによつてなされる執行について債務者は請求異議の方法により執行力の排除を求め得るものと解するのが相当である。けだし、このように解しないときは、当事者の恣意にもとずき、既に消滅した請求権を表示する公正証書にもとずき、新たなしかも証書上特定しない請求にもとずく執行も許容されることとなり、殊更に厳格な要件のもとに執行証書に執行力を附与した法意が没却されるからである。
(四)以上の次第であるから本件公正証書の執行力は、原告の弁済によつて消滅し、これに基ずく強制執行は許されないところであり、これが執行力の排除を求める原告の本訴請求は理由がある。
(以下省略)